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ショートメッセージ

          聖書の神様ってどんな神様?

 ご挨拶が大変遅くなってしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます。 
 皆様は、どんなお正月を過ごされましたでしょうか?寝正月だったという方もいれば、旅行に出かけた・・・とか、テレビ番組ばかり見てた…という方々もいるでしょうね。そして、初詣に出かけた・・・という人も少なくないでしょう。
 時々、「クリスチャンって正月は何やってんですか?」って聞かれたりします。実は、私たちの教会も元旦には、唯一の真の神様を礼拝しています。あえて、「唯一の真の神様」と書きました。
 今日は、聖書に記されている神様って、いったいどんな神様なのか・・・について書かせていただきます。

         地球 

       初めに、神が天と地を創造した。  創世記1章1節 


 分厚い聖書の一番最初に「創世記」という書物があり、その最初のページの一行目の言葉が、上記の言葉です。
 聖書は、神様が人間である私たちのために多くの人々を用いて記された「愛の手紙」なのです。そして、最初の一行に、この言葉が記されているということは、神様がまず私たちに知らせたいことは、このことだということです。
 たった一行のこの言葉の中に、神様についてたくさんのことが読み取れますが、何といっても、一番大きなことは、神様が、この世界をお造りになったのだ・・・ということでしょう。つまり、聖書が私たちに示している神様とは、「天地創造の神様」である・・・ということです。

 上掲の写真を見て下さい。これは私たちの住む地球ですが、「天と地」と言った時に、それはこの地球だけを造ったということではありません。「天」の中には、宇宙全体が含まれています。私たちには、宇宙全体の大きさなど、まったく想像することすら出来ません。とするならば、これをお造りになった神様の偉大さは、もう何にも比べることが出来ません。「太陽がすばらしい」、「月が美しい」、「富士山が華麗だ」といって、私たちは思わず手を合わせて拝もうとするかもしれませんが、それは、これらを造られた方に向けてこそ、ふさわしい姿勢だと思いませんか?

 この世界は悠久の年月を経て偶然に出来たのではなく、創造主なる神様がおられて、その神様がこれをお造りになったのです。「長い年月のうちに偶然に出来た」という考え方は、証明出来ない、また証明されてもいない、ある意味で信仰に近いものです。そして、もし、偶然にこの世界が出来たとするならば、私たちの人生に何の意義があるでしょう。すべては偶然の産物であって、たまたま成り行きで偶然、私たちが今生きているだけなのですから・・・・。しかし、神様がこの世界をお造りになり、私たち人間を造られたとするならば、そこには、大切な意味があり、目的があります。

 そして、この世界をあらゆる神々が分業で造ったわけではなく、「神が」と単数で記されています。実は、原語で見るとこの「神」は「エロヒーム」という言葉で複数形になっています。ところが、聖書の他の個所を見ると神様は唯一であることが教えられています。ちょっと矛盾のように見えるかもしれませんが、そこには、さらに深い神様の真理が示されていて、これは三位一体の神様であることを示しています。(三位一体については、またいつか改めて書かせていただきます。)私という人間をこの世に産み出した母は、たった一人しかいないように、この天と地をお造りになった神様も、唯一の真の神様なのです。

 この全世界、全宇宙をお造りになった唯一の真の神様がおられます。私たちが、この上記の一節をどう受け止めるかによって、私たちの人生は大きく分かれて行くでしょう。あなたは、天地万物を神様がお造りになった・・・というこの聖書を御言葉をどう捉えるでしょうか?


          

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