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バイブル・ショートメッセージ

「死」のメカニズムとその解決 その3 

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・。
                                へブル9章27節


        最後の審判②

 前回、なぜ人間は死ぬのか?それは、人類が罪を犯した結果なのだ・・・と聖書が教えていることをお知らせしました。今回は、聖書は私たちに「二つの死」があることを示していることをお伝えしたいと思います。

 ある人々は「死んだ後は無になる」と思って、「生きているうちに自分のしたいことを何でもすればいい」と考えています。「どうせ死んだら無になる」と思えば、そういう結論に行き着くのも当然かもしれません。ですから、犯罪にならない範囲で、欲望の限りを尽くす・・・という本能のおもむくままに生きる獣とあまり変わらない生き方をしてしまうことになります。

 しかし、神様の御言葉である聖書は、「死後は無になる」とは教えていません。逆に「死後にさばきをうけることが定まっている・・・」と警告しているのです。つまり、私たちは皆、この地上での生涯を終えた後に、その魂は神様の前に立ち、そこでその一生の間にして来たすべてのことについて、神様の判決を受けるというわけです。
 さあ、もしこれが本当ならば、私たちは大変なことになります。先ほど述べたように、「死んだ後は無」と考えて欲望の限りを尽くした人々は、神様の御前に立たされて愕然と色を失うことになります。いえ、その人たちだけではありません。私たち一人ひとり、生涯のすべての業が白日のものにさらされます。して来たこと、またするべきなのにしなかったこと、心に思ったこと、言ったこと、言うべきことを言わなかったこと・・・・、一切が明らかにされた時、なお、「私は正しい」と胸を張って言える人が、いったい、私たちの中にいるのでしょうか?

 そのように神様からの正しい判決を受けて「有罪」とされた私たちには、次に何が待っているのでしょう。

 「海はその中にいる死者を出し、死もハデス(黄泉)も、その中にいる死者を出した。そして、人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」 黙示録20章13~15節 

 第二の死・・・、これは、私たちにとって「最初の死」よりもはるかに絶望的な恐ろしいものであることは間違いないでしょう。このようなことは、決して気楽に安直に語れるものではありません。しかし、聖書は二千年も前から、人類に警告を発し続けているのです。
 それでは、この「死」の問題に解決はないのでしょうか?「もちろん、あります!」聖書は、この解決を示すために、まず、「死」の問題を明らかにしているのですから。
 
 次回、いよいよ、このシリーズの核心に入ってまいりましょう。
 
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